恒例の火曜日RUN。
スタート前に、拙宅の庭を見遣ると、狭いながらも秋景色。
草木の彩りを見ていると、もうすっかり冬支度を始めている様子。
走りながら、「慣れ」について考える。
技能を習得する事、それに伴う訓練を日常化する事、それらも「慣れ」のひとつではある。
それが良い方向に作用してくれれば勿論言う事なし、けれども人間良い方向とばかりも行かない。
初見の人から見れば、明らかに悪い状況、更には異常な状態でさえも、時間が経てば「慣れ」てしまうのだ。
私は、これまでに何度となく、その事に気付かされ、その度にかなりのショックを受け、膨大な時間をかけて、それらを乗り越えて来た。
大概は、気付いた時には、取り返しが付かないのでは、と思われる状況だったから、今思えば良く乗り越えられたもの、と思う。
悪い状況に「慣れ」てしまえば、悪も善に置き換えられ、忠告は圧力と捉えられてしまう。
そして、人間としての成長や、技術の向上等、一切の進歩が停滞してしまうのだ。
私自身その当時、現状に満足し、悦に入っている自分を何度観た事か。
「慣れ」は、冬の朝の布団の中と同じで、出なくてはならないと分かっていながら、中々出られない。
ついぬくぬくと温まっているうちに二度寝してしまい、起こされた時には取り返しのつかない時間…。
学校の遅刻ならまだマシ(…でもないか)だけれども、もしもこれがもっと大事になる様な事態を引き起こしたら…。
そして「慣れ」の輪の中に、いつまでもいられるとは限らない。
いずれは、初見の人たちとも仕事をしなければならないのだから。
その時、その人たちにとって、自分は一体どう映るのか?
「慣れ」は、年齢関係なく、誰にでも起こり得る。
私も、一日に一度は、肝に命じている。