恒例の火曜日RUN。
今日は雨の予報で、いつ降り出してもおかしくない空模様の上、気温もかなり低いので、一旦仕舞っておいた冬用ウェアを再び引っ張り出してスタート。
写真を撮る気にならなかったので、まだアップしていなかった、富士スバルライン2合目〜4合目付近から臨んだ景色をば。
有難い事に、最近はクラシック歌手のレッスン生も増えつつある。
つい先日、単発レッスンに来てくださった方の話を聞いていて、かねてより考えていた事が全く正しかった事を確信した。
それは、「間違いに国境はない」と言う事、それがたとえイタリア・ドイツであろうが、アメリカ・イギリスであろうが、である。
以下の話は、そのレッスンに来てくださった方の許諾を得ている。
その方はTwitterで、私の「横隔膜を押し下げて声を出すと言う事、つまり逆圧発声は、人間の生理機能とは逆行している事になる。
それで人間の感情の変化を声に表出させようと言うのが、そもそも無理な話と思う。
運が良ければコツを掴めるかもしれないけれども、そんな運任せの発声よりも、人間の生理に逆らわない発声を!」と言うツィートを見て、いても立ってもいられずにお越しになったそうだ。
その方は、ドイツ某所にて、数年間にわたりプライヴェート・レッスンを受けておられたそうだけれども、教わったのがまさにその逆圧発声だったと言うのだ。
帰国した当初は、声を何とか操る事が出来たそうだけれども、そのうちに歌う事に不自由を感じる様になったそうだ。
けれども、自分の留学に誇りを持っておられ、そこで学んだ事を否定する考えは、当初どうしても持てなかったとの事。
私にも似た様な経験があり、その方の気持ちは良く分かった。
クラシック歌手をはじめとした、留学経験のある表現者が陥り易い事だけれども、得てして留学した事実にしがみ付いてしまう事がある。
その方も、それに陥りそうになりながらも、同時に心の中では懐疑心が育って行き、遂にそちらが勝ってしまった、との事。
ピアニストである奥様に相談なさったところ、「すぐ行くべき」と励まされ、心が決まった、と言う。
レッスンで、その方の表情を見ていて、最初にイタリア・ミラノへ行った時の私を思い出した。
先輩のつてで、ある人のレッスンを受けに行ったけれども、その人は声楽家ではなく、伴奏ピアニストであった。
いわゆるマエストロ・ディ・スパルティート(楽譜の分析や、歌の解釈の先生)であり、発声に関しては全くの聞きかじりで、今から思えば随分といい加減な事を言われたもの、と分かる。
私は、その先生の言う事を信じて疑わなかったけれども、暫くするうちに全く声が出なくなってしまったため、危機感を覚え、すぐに次の先生を捜し、偶然にも最高の師を得た。
師が仰った事、「日本人はカモにされ易いから気をつけなさい。歌の先生と言っても、その先生が必ずしも歌手とは限らない。つまり発声が教えられるとは限らないんだから」。
これを聞いて、膝の力が抜ける程のショックだった事を、未だに覚えている。
レッスンで、呼吸筋を正方向に向けさせるための筋力トレーニングを行い、その方の逆圧を呼吸練習から治し、更には声帯の圧縮の独立操作を示唆して差し上げた。
その時点で、「鎖でがんじがらめになっていたのが、一気に解放された様だ」と仰ってくださった。
最後に、その正圧のモードで、高音を高らかにキメて帰って行かれた。
幼馴染が自動車整備工場を経営しているのだけれども、その友人が「お客様が、直った車を嬉しそうに運転して帰られるのを見ると、この仕事をやっていて本当に良かったと思う」と言っていた気持ちが良く分かった。
その方も、「これからは快適に自分の声を運転なさる事だろう」そう思うと、この仕事が誇らしく思えるのだった。
今日は雨の予報で、いつ降り出してもおかしくない空模様の上、気温もかなり低いので、一旦仕舞っておいた冬用ウェアを再び引っ張り出してスタート。
写真を撮る気にならなかったので、まだアップしていなかった、富士スバルライン2合目〜4合目付近から臨んだ景色をば。
有難い事に、最近はクラシック歌手のレッスン生も増えつつある。
つい先日、単発レッスンに来てくださった方の話を聞いていて、かねてより考えていた事が全く正しかった事を確信した。
それは、「間違いに国境はない」と言う事、それがたとえイタリア・ドイツであろうが、アメリカ・イギリスであろうが、である。
以下の話は、そのレッスンに来てくださった方の許諾を得ている。
その方はTwitterで、私の「横隔膜を押し下げて声を出すと言う事、つまり逆圧発声は、人間の生理機能とは逆行している事になる。
それで人間の感情の変化を声に表出させようと言うのが、そもそも無理な話と思う。
運が良ければコツを掴めるかもしれないけれども、そんな運任せの発声よりも、人間の生理に逆らわない発声を!」と言うツィートを見て、いても立ってもいられずにお越しになったそうだ。
その方は、ドイツ某所にて、数年間にわたりプライヴェート・レッスンを受けておられたそうだけれども、教わったのがまさにその逆圧発声だったと言うのだ。
帰国した当初は、声を何とか操る事が出来たそうだけれども、そのうちに歌う事に不自由を感じる様になったそうだ。
けれども、自分の留学に誇りを持っておられ、そこで学んだ事を否定する考えは、当初どうしても持てなかったとの事。
私にも似た様な経験があり、その方の気持ちは良く分かった。
クラシック歌手をはじめとした、留学経験のある表現者が陥り易い事だけれども、得てして留学した事実にしがみ付いてしまう事がある。
その方も、それに陥りそうになりながらも、同時に心の中では懐疑心が育って行き、遂にそちらが勝ってしまった、との事。
ピアニストである奥様に相談なさったところ、「すぐ行くべき」と励まされ、心が決まった、と言う。
レッスンで、その方の表情を見ていて、最初にイタリア・ミラノへ行った時の私を思い出した。
先輩のつてで、ある人のレッスンを受けに行ったけれども、その人は声楽家ではなく、伴奏ピアニストであった。
いわゆるマエストロ・ディ・スパルティート(楽譜の分析や、歌の解釈の先生)であり、発声に関しては全くの聞きかじりで、今から思えば随分といい加減な事を言われたもの、と分かる。
私は、その先生の言う事を信じて疑わなかったけれども、暫くするうちに全く声が出なくなってしまったため、危機感を覚え、すぐに次の先生を捜し、偶然にも最高の師を得た。
師が仰った事、「日本人はカモにされ易いから気をつけなさい。歌の先生と言っても、その先生が必ずしも歌手とは限らない。つまり発声が教えられるとは限らないんだから」。
これを聞いて、膝の力が抜ける程のショックだった事を、未だに覚えている。
レッスンで、呼吸筋を正方向に向けさせるための筋力トレーニングを行い、その方の逆圧を呼吸練習から治し、更には声帯の圧縮の独立操作を示唆して差し上げた。
その時点で、「鎖でがんじがらめになっていたのが、一気に解放された様だ」と仰ってくださった。
最後に、その正圧のモードで、高音を高らかにキメて帰って行かれた。
幼馴染が自動車整備工場を経営しているのだけれども、その友人が「お客様が、直った車を嬉しそうに運転して帰られるのを見ると、この仕事をやっていて本当に良かったと思う」と言っていた気持ちが良く分かった。
その方も、「これからは快適に自分の声を運転なさる事だろう」そう思うと、この仕事が誇らしく思えるのだった。