恒例の火曜日RUN。
もう初夏をぶっ飛ばして盛夏と言えそうな気温、草木も相当慌てているのではあるまいか。
気が付けば、快晴の空の下では紫陽花にあまり目が行かないので、今日見たそれは、目にも貴重な色彩かもしれない。
「まだ先」と思っていても、時間は否応無しに経って行っているものなのだ。
気が付けば、あれよあれよと言う間に本番の週を迎え、もう明日には劇場入りである。
昨夜、劇場へ持って行く荷物を調えながら、いつの間にか、この様な時間の流れの早さに慣れてしまっている自分に気付いた。
「こなす」と言う言葉、私は漢字で「熟す」を当てている。
この言葉は演劇の世界で、「新鮮味がなくなる」とか「マニュアル化される」とか、ともすればマイナスイメージを持たれる事が多い。
けれども私は、プロフェッショナルとして舞台に立つ場合には、必須だと考えている。
そもそもの「こなす」の意味は、「技術などを習って、それを思うままに使う。また、身につけた技術でうまく扱う。自在に扱う。」事にあると思う。
それが、いつの間にやら「惰性で物事を処理する」方に転化してしまい、舞台芸術(特に高校演劇)では良くない事に思われている様だ。
また、若い人達と話していると、「一生懸命やらずに、ただこなしているだけ」と言う表現を良く聞く。
それは大いなる誤解だと思うし、彼らの進歩を阻む考え方だと思う。
人間と言うものは、頭脳の働きも身体の機能も、フル稼働つまり一生懸命やらないと、舞台になど立てないのだ。
彼らにしてみれば、アルバイトでの経験等から、「こなす」=「手を抜く」に通じてしまうのだろう。
あくまで私見だけれども、プロフェッショナルである以上、「こなす」と言う事は、その「一生懸命」の更に上、プラスアルファとしての事であって、「手を抜く」事ではないのだ。
ただ一所懸命で舞台に立つ事だけではなく、一生懸命機能や技術を使う事、が必要と考えている。
それにしても、若い人達は本当に良く頭を使う。
今回の「オセロー・スタディプログラム」の人たちなど、私の数倍あるいは数十倍使って役を組み立てているのではないだろうか。
私なぞ、恥ずかしながら身体を使う割合の方が、明らかに多いもの(笑)。
ただ、ドイツやイタリアで私を教えてくださった演劇の先生たちから学んだ事は、「人間が普段生きて行く上での、頭と身体との使用バランスを超え過ぎない様に」と言う事。
「超えるとすれば、人間の生理を再現するのに使う分、と言うのが理想」とも教わり、今日までそれを座右の銘としている。
そのせいか、私は頭でっかちな演技に、かなりのアレルギー反応を示してしまう(笑)。
さて、そんな私の主役・悪役交互出演、この声を活かして存分にお届け出来る様、余念無くメンテナンスに励みます。
お越しくださいます方々、劇場にてお待ち申し上げております。
もう初夏をぶっ飛ばして盛夏と言えそうな気温、草木も相当慌てているのではあるまいか。
気が付けば、快晴の空の下では紫陽花にあまり目が行かないので、今日見たそれは、目にも貴重な色彩かもしれない。
「まだ先」と思っていても、時間は否応無しに経って行っているものなのだ。
気が付けば、あれよあれよと言う間に本番の週を迎え、もう明日には劇場入りである。
昨夜、劇場へ持って行く荷物を調えながら、いつの間にか、この様な時間の流れの早さに慣れてしまっている自分に気付いた。
「こなす」と言う言葉、私は漢字で「熟す」を当てている。
この言葉は演劇の世界で、「新鮮味がなくなる」とか「マニュアル化される」とか、ともすればマイナスイメージを持たれる事が多い。
けれども私は、プロフェッショナルとして舞台に立つ場合には、必須だと考えている。
そもそもの「こなす」の意味は、「技術などを習って、それを思うままに使う。また、身につけた技術でうまく扱う。自在に扱う。」事にあると思う。
それが、いつの間にやら「惰性で物事を処理する」方に転化してしまい、舞台芸術(特に高校演劇)では良くない事に思われている様だ。
また、若い人達と話していると、「一生懸命やらずに、ただこなしているだけ」と言う表現を良く聞く。
それは大いなる誤解だと思うし、彼らの進歩を阻む考え方だと思う。
人間と言うものは、頭脳の働きも身体の機能も、フル稼働つまり一生懸命やらないと、舞台になど立てないのだ。
彼らにしてみれば、アルバイトでの経験等から、「こなす」=「手を抜く」に通じてしまうのだろう。
あくまで私見だけれども、プロフェッショナルである以上、「こなす」と言う事は、その「一生懸命」の更に上、プラスアルファとしての事であって、「手を抜く」事ではないのだ。
ただ一所懸命で舞台に立つ事だけではなく、一生懸命機能や技術を使う事、が必要と考えている。
それにしても、若い人達は本当に良く頭を使う。
今回の「オセロー・スタディプログラム」の人たちなど、私の数倍あるいは数十倍使って役を組み立てているのではないだろうか。
私なぞ、恥ずかしながら身体を使う割合の方が、明らかに多いもの(笑)。
ただ、ドイツやイタリアで私を教えてくださった演劇の先生たちから学んだ事は、「人間が普段生きて行く上での、頭と身体との使用バランスを超え過ぎない様に」と言う事。
「超えるとすれば、人間の生理を再現するのに使う分、と言うのが理想」とも教わり、今日までそれを座右の銘としている。
そのせいか、私は頭でっかちな演技に、かなりのアレルギー反応を示してしまう(笑)。
さて、そんな私の主役・悪役交互出演、この声を活かして存分にお届け出来る様、余念無くメンテナンスに励みます。
お越しくださいます方々、劇場にてお待ち申し上げております。