異例の日曜日RUN(笑)。
いつもなら昨日走る事にしているけれども、生憎の雨で、しかも庭木の手入れが途中になってしまっている事がどうしても気になってしまい、作業を優先する事にした。
玄関先の庭木が伸び放題になり、玄関に入るのも苦労する位になっていたし、ちょうど雨支度をしていた事もあって、思い立ったが吉日、とばかりに作業をし、何とか終わらせてスッキリした。
レッスン生である俳優の後藤祥子がブログに書いていたけれども、私はセリフの読解をする時に、重要なファクターを身近なものに置き換えて、基本的な感情ラインを作る事が多い。
従って、多少の脚色はあるものの、ブログに書かれている事は全部事実である(笑)。
後藤祥子のブログ:https://ameblo.jp/shokofortuna106
今回の「オセロー」では、ラーメンを良く用いた(笑)。
「金」や「名誉」をラーメンのトッピングである「もやし」や「味玉」に置き換えたのだ。
現代では、「名誉」の価値を自分の中に見いだす事が難しく、感情のスイッチを入れる事が難しかったからでもある。
例えば、悪役イァーゴの台詞にこんなのがある。
「私はね、閣下、財布を奪われてもなんとも思わない。財布はゴミだ。そりゃ大事でないこともない、でもなんでもない。私の金はヤツの金、金なんてどうせ人間の奴隷ですから。だが名誉を奪われたら俺はおしまいです。」(訳/三輪えり花)
俳優によって様々な解釈があるだろうけれども、私はこの台詞を、「自分は金に転ぶ様な人間ではなく、名誉を重んじる人間、その自分が名誉に賭けてデズデモーナへの疑惑を箴言するのだ」と宣言し、更に「もし私があなただったら、名誉を奪われる事を何よりも恥とする」と仄めかしている、と解釈している。
今の世の中、金と言うものは、時に名誉と逆転して大切なものとなってしまう事が多くあるのではないか。
私も、名誉という言葉の重みを、中々自分の中に見出せずにいた。
そこで、ふと若い頃の苦い思い出を思い出し、いつもやっている様に、台詞を置き換えてみる事にしたのである。
若い頃、寮の先輩となけなしのバイト代を握りしめて、大好きだが、高くて中々行けないラーメン屋に行った。
先輩はちょうど金欠で、トッピングなしのラーメンを注文、バイト代が入った私は、もやしと味玉をトッピング。
先輩が物欲しげに私のラーメンを見ているので、気の毒に思って、先輩にもやしを譲った。
けれども先輩は、味玉を寄越せ、と理不尽な命令を下したのだ(笑)。
その時の私の応答は、今でも覚えている「それを取られたら私はおしまい」(笑)。
なけなしのバイト代をはたいた事も手伝ってか、まさに今回の台詞だった(笑)。
これをイァーゴの台詞に当て嵌めてみよう。
「私はね、先輩、もやしを奪われてもなんとも思わない。もやしはゴミだ。そりゃ大事でないこともない、でもなんでもない。私のもやしは誰かのもやし、もやしなんてどうせ人間の奴隷ですから。だが味玉を奪われたら俺はおしまいです。」
私は、イァーゴは本気で言っておらず、オセローに信じ込ませるために何かを演じている、と言う解釈をしていたので、これで難なく感情のスイッチを入れる事が出来た。
こんな事を書いたら、真面目に読解をなさっている俳優諸氏に叱られるかもしれない。
勿論、全てがこれで解決出来る訳ではないけれども、アプローチは一様ではなく、時には単純思考も必要なのだ、とご理解賜れば幸いである。
いつもなら昨日走る事にしているけれども、生憎の雨で、しかも庭木の手入れが途中になってしまっている事がどうしても気になってしまい、作業を優先する事にした。
玄関先の庭木が伸び放題になり、玄関に入るのも苦労する位になっていたし、ちょうど雨支度をしていた事もあって、思い立ったが吉日、とばかりに作業をし、何とか終わらせてスッキリした。
レッスン生である俳優の後藤祥子がブログに書いていたけれども、私はセリフの読解をする時に、重要なファクターを身近なものに置き換えて、基本的な感情ラインを作る事が多い。
従って、多少の脚色はあるものの、ブログに書かれている事は全部事実である(笑)。
後藤祥子のブログ:https://ameblo.jp/shokofortuna106
今回の「オセロー」では、ラーメンを良く用いた(笑)。
「金」や「名誉」をラーメンのトッピングである「もやし」や「味玉」に置き換えたのだ。
現代では、「名誉」の価値を自分の中に見いだす事が難しく、感情のスイッチを入れる事が難しかったからでもある。
例えば、悪役イァーゴの台詞にこんなのがある。
「私はね、閣下、財布を奪われてもなんとも思わない。財布はゴミだ。そりゃ大事でないこともない、でもなんでもない。私の金はヤツの金、金なんてどうせ人間の奴隷ですから。だが名誉を奪われたら俺はおしまいです。」(訳/三輪えり花)
俳優によって様々な解釈があるだろうけれども、私はこの台詞を、「自分は金に転ぶ様な人間ではなく、名誉を重んじる人間、その自分が名誉に賭けてデズデモーナへの疑惑を箴言するのだ」と宣言し、更に「もし私があなただったら、名誉を奪われる事を何よりも恥とする」と仄めかしている、と解釈している。
今の世の中、金と言うものは、時に名誉と逆転して大切なものとなってしまう事が多くあるのではないか。
私も、名誉という言葉の重みを、中々自分の中に見出せずにいた。
そこで、ふと若い頃の苦い思い出を思い出し、いつもやっている様に、台詞を置き換えてみる事にしたのである。
若い頃、寮の先輩となけなしのバイト代を握りしめて、大好きだが、高くて中々行けないラーメン屋に行った。
先輩はちょうど金欠で、トッピングなしのラーメンを注文、バイト代が入った私は、もやしと味玉をトッピング。
先輩が物欲しげに私のラーメンを見ているので、気の毒に思って、先輩にもやしを譲った。
けれども先輩は、味玉を寄越せ、と理不尽な命令を下したのだ(笑)。
その時の私の応答は、今でも覚えている「それを取られたら私はおしまい」(笑)。
なけなしのバイト代をはたいた事も手伝ってか、まさに今回の台詞だった(笑)。
これをイァーゴの台詞に当て嵌めてみよう。
「私はね、先輩、もやしを奪われてもなんとも思わない。もやしはゴミだ。そりゃ大事でないこともない、でもなんでもない。私のもやしは誰かのもやし、もやしなんてどうせ人間の奴隷ですから。だが味玉を奪われたら俺はおしまいです。」
私は、イァーゴは本気で言っておらず、オセローに信じ込ませるために何かを演じている、と言う解釈をしていたので、これで難なく感情のスイッチを入れる事が出来た。
こんな事を書いたら、真面目に読解をなさっている俳優諸氏に叱られるかもしれない。
勿論、全てがこれで解決出来る訳ではないけれども、アプローチは一様ではなく、時には単純思考も必要なのだ、とご理解賜れば幸いである。