恒例の火曜日RUN。
気温は高めだけれども、風は既に秋の匂いがして、火照った身体を適度にクールダウンしてくれる。
今日は、心身共にクールダウンの日なので、走行速度もリラックス出来る程度のものにして、コースもより自然を味わえる緑道にした。
私の暑い暑い夏、「お気に召すまま」も昨日で終演、私は沢山のものを得て、次の作品へ。
出会った物事や人々、そのいずれもが素晴らしく、舞台上でも学ばせて頂く事が多かった。
歌う事が主体の役ではあったけれども、同じ舞台上にいられた事が、私にとっては大きな幸せであった。
今回、エイミアンズと言う役を演じるにあたり、参考にさせてもらったのは、英国・Shakespeare's GlobeのSam Wanamaker Playhouseで観た「冬物語」に登場する陽気な吟遊詩人たちである。
彼らは、舞台上はおろか客席をも縦横無尽に駆け回り、空いている席に座って隣の観客に絡んだり、観客のメガネをひょいと奪い取って自分でかけてしまったり(笑)。
およそ日本では想像もつかない事だけれども、英国の観客はゲラゲラ笑いながら、嬉々としていじられていた。
演出の河合先生が、そこまで期待していたかどうかは分からないけれども、「お客に構ってほしい」と言う御要望だったので、何とかやってみた訳だ。
ただ、客席は日一日とて同じ空気ではなく、また国民性の違いもあるので、その場の空気を読んで即応して行かねばならず、その点ではかなりの瞬発力を要した。
恐らくは、客席をいじるエイミアンズと言うのは、日本ではあまり観られないとは思うけれども、恐らくシェイクスピアの時代でもこんな気楽な場面だったのではないだろうか。
恥ずかしながら功名心にばかり走っていた若い頃と比べて、いつの間にやら「如何にして場面に貢献出来るか」を考えられる様になっていたのも、自分の中に発見した大きな変化であった。
今から思い出しても顔を赤らめてしまうけれども、随分と恥ずかしい失敗を重ねて来たもので、当時はそれにも気付かず、自分がウケた事にのみ満足して悦に入っていた。
けれども、想像するにその頃の私は、エスカレートし過ぎてしまっていて、作品の質を落としかねない事も、平気でやってしまっていたのではないだろうか…、今でもそれを考えると恐ろしい。
その頃に漠然と感じていた居辛さも今はなく、自然体で劇場に居られる事も嬉しかった。
恐らく、若い頃は多分に実力不足で、それが露見する事をただひたすら恐れていて、そのために常に神経を張り巡らしていなければならなかったのだろう。
今現在、決して自分の実力に満足し切っている訳ではないけれども、少なくとも自分の歌に喜んでくださるお客様がいてくださるので、そのお陰でいたずらに不安を掻き立てずに済んでいるのだ。
それにしても、河合先生をはじめ、スタッフ諸氏や俳優諸氏には本当に世話になった。
突然現れた異業種の私を、良くぞ受け入れ、一緒に場を盛り立てて下さった。
心から感謝すると共に、今後はまた、彼らの活躍をそこかしこで見て、思わず笑顔になる日々だろう。
さて、次は「オペラ遊び語り」。
その本番も来週に迫っている。
気温は高めだけれども、風は既に秋の匂いがして、火照った身体を適度にクールダウンしてくれる。
今日は、心身共にクールダウンの日なので、走行速度もリラックス出来る程度のものにして、コースもより自然を味わえる緑道にした。
私の暑い暑い夏、「お気に召すまま」も昨日で終演、私は沢山のものを得て、次の作品へ。
出会った物事や人々、そのいずれもが素晴らしく、舞台上でも学ばせて頂く事が多かった。
歌う事が主体の役ではあったけれども、同じ舞台上にいられた事が、私にとっては大きな幸せであった。
今回、エイミアンズと言う役を演じるにあたり、参考にさせてもらったのは、英国・Shakespeare's GlobeのSam Wanamaker Playhouseで観た「冬物語」に登場する陽気な吟遊詩人たちである。
彼らは、舞台上はおろか客席をも縦横無尽に駆け回り、空いている席に座って隣の観客に絡んだり、観客のメガネをひょいと奪い取って自分でかけてしまったり(笑)。
およそ日本では想像もつかない事だけれども、英国の観客はゲラゲラ笑いながら、嬉々としていじられていた。
演出の河合先生が、そこまで期待していたかどうかは分からないけれども、「お客に構ってほしい」と言う御要望だったので、何とかやってみた訳だ。
ただ、客席は日一日とて同じ空気ではなく、また国民性の違いもあるので、その場の空気を読んで即応して行かねばならず、その点ではかなりの瞬発力を要した。
恐らくは、客席をいじるエイミアンズと言うのは、日本ではあまり観られないとは思うけれども、恐らくシェイクスピアの時代でもこんな気楽な場面だったのではないだろうか。
恥ずかしながら功名心にばかり走っていた若い頃と比べて、いつの間にやら「如何にして場面に貢献出来るか」を考えられる様になっていたのも、自分の中に発見した大きな変化であった。
今から思い出しても顔を赤らめてしまうけれども、随分と恥ずかしい失敗を重ねて来たもので、当時はそれにも気付かず、自分がウケた事にのみ満足して悦に入っていた。
けれども、想像するにその頃の私は、エスカレートし過ぎてしまっていて、作品の質を落としかねない事も、平気でやってしまっていたのではないだろうか…、今でもそれを考えると恐ろしい。
その頃に漠然と感じていた居辛さも今はなく、自然体で劇場に居られる事も嬉しかった。
恐らく、若い頃は多分に実力不足で、それが露見する事をただひたすら恐れていて、そのために常に神経を張り巡らしていなければならなかったのだろう。
今現在、決して自分の実力に満足し切っている訳ではないけれども、少なくとも自分の歌に喜んでくださるお客様がいてくださるので、そのお陰でいたずらに不安を掻き立てずに済んでいるのだ。
それにしても、河合先生をはじめ、スタッフ諸氏や俳優諸氏には本当に世話になった。
突然現れた異業種の私を、良くぞ受け入れ、一緒に場を盛り立てて下さった。
心から感謝すると共に、今後はまた、彼らの活躍をそこかしこで見て、思わず笑顔になる日々だろう。
さて、次は「オペラ遊び語り」。
その本番も来週に迫っている。