恒例の火曜日RUN/2018.10.2

恒例の火曜日RUN。
台風一過で快晴の空の下、あちこちに台風の爪痕が残されていた。
途中、倒れた電柱や、倒木の処理をする姿を、何度も見かけた。

金木犀が良く薫る季節になり、あの台風の強風にも大して散らずに、今日も良く薫っていた。
亡き母が、生前この金木犀の薫りを大変好んでおり、庭に生えていた金木犀の枝を剪定した時など、落とした花枝を家のそこかしこに活けていたので、家のどこにいても薫ったものだった。
私は、金木犀の薫りと共に、家のそこかしこにいそいそと水盤を置き、そこに愛しそうに花枝をそっと置いて回っている母を思い出す。

母が晩年、病を得て入院した際、亡くなる前に、病室にも金木犀の薫りが欲しい、と言った。
生憎季節外れだったけれども、何とか叶えたいと思い、仕方なく金木犀の香りがする芳香剤を買って持って行った。
母は、表面上は喜んで見せてくれたものの、内心逆である事は、傍目からも明らかであった。

私は、物理的に無理だったとは言え、心から母に済まないと思った。
私が持って行ったのは、紛い物で、いくらそれらしい「香り」はしても、本物の「薫り」には到底敵わないものであるからだ。
それから、私はこの季節になると、RUNの時に小平霊園まで走り、墓前に金木犀をひと枝供える様になった。

今日も例年に慣い霊園までひと走り、彼岸の混雑を避けるには丁度良い選択なのだ。
台風でかなり荒れていると思いきや、石屋の方がちゃんと手入れして下さっていた。
今年も、こうして無事、紛い物でない金木犀を供えられた事に感謝しなければ。

気が付けば、私自身が世間様から「本物」であるか「紛い物」であるか、常に問われ続ける職業に就いている。
あくまで私見だけれども、本物であり続けるためには、常に昨日の自分は紛い物である、と考えなければならないと思っている。
現状に満足せず常に少しでも進化し続ける、そのためには昨日より今日、今日よりも明日、と言う事なのだろう。

そして、自分がその時その時に本物と思えるものをお客様にお出しして、それがお客様の価値観と合致した時、初めて本当の本物になるのだろう。
その点に於いては、私はまだまだである、と言えるし、だからこそのモチベーションが生まれる。
そのモチベーションによって、この歳になるまで続けて来られたのかもしれない。

若い頃、紛い物だった自覚は充分にある。

そんな時よりは幾分マシな今を喜べるのは、こんな時くらいかな。