恒例の火曜日RUN/2018.12.11

恒例の火曜日RUN。
いきなり寒くなり、慌てて防寒ウェアを引っ張り出してスタート。
スタートしてから、手袋もすれば良かったと後悔、手先が冷えると身体を温めるのに多少余計に時間がかかる。

十月に自分も経験したせいか、陰で悪く言われて悲しんだり、悩んだりしている人たちが、結構多い事を知った。
良く「怒るだけ損」等の警句を授かるけれども、そこは人間である、そう単純に割り切れるものではないだろう。
私も、長い舞台生活やそれ以外でも、かなりの経験をして来ているけれども、最近ふと思った事があり、以来、陰で言われる事には、ある程度の耐性が出来ている。

発端は数年前、生来のスーツ好きから、学校の授業にいつもスーツを着ている事を、陰で色々言われている事を知った時だった。
通常ならスーツの着用をやめようか、と考えるところだろうけれども、その時の私は逆だった。
「どうせ言われるんだから、好きにやらしてもらおう」、好きにやる代価は、陰口の材料を提供している事で支払い済み、と思えたのだった。

つまり、陰で言われる、と言う事は、より自由に生きるための代価の先払い、と考えられるのではないだろうか。
なぜ代価を?と思われるかもしれないけれども、社会で暮らしている限り、何事にも代価は必要と考えた訳である。
それをもっと誇大に発展させて考えれば、陰口を叩いている人々に代価を払う事で、その人たちを食べさせてやっている、と思えば、より愉快であろう。

友人の心療内科医によれば、陰口を叩く人々は、心理的に優位に立ちたい願望が肥大して、そう言う行動に出るそうだ。
通常は、ある程度抑えてはいるものの、だんだん抑えが効かなくなり、特に酒が入って心理的に解放された時などは、歯止めが効かなくなる、との事。
ならば、それを逆手に取り、こちらが精神的優位に立って、その人々を心の中で哀れに思ってやれば良いのである。

そう言う意味では、私の考え方は正しいのではないか、と友人医師は言う。
陰で色々言われて、悩んでらっしゃる皆様、あなたもその人たちを食べさせてあげているのだ。
そうして、晴れ晴れとした笑顔でその人たちに応対出来ればしめたもの。

今年は、様々な実りある出会いがあった反面、残念ながら非常に落胆させられた出来事もあった。

それらの「扶養人物」たちのお陰で、私はこれからも、より自由に生きて行けるのである。