恒例の火曜日RUN。
インフルエンザが大流行中で、予防接種は受けているものの、自分が無事でいられる事が不思議なくらいだ。
早い人は、もう花粉症の症状が出始めているそうで、もう何もかもが前倒し状態である。
最近は、心弱い人からの相談が非常に増えていて、表現芸術に関わる人たちでも、こんなに多いのかと驚くばかりである。
考えてみれば、我々の様な職業の心の拠り所は、自己肯定しかないに等しい。
ただ、自己肯定を保ち続けるには、相当のエネルギーが必要なので、その負担に心が耐えられなくなるのかもしれない。
自分の経験から言うと、心弱い状態に浸っている方が楽である。
何でも責任転嫁出来るし、それに辟易した周囲も放っておいてくれる。
誇大妄想ばかりが膨らむけれども、現実を見なくなるので、誇大妄想が折れる事もなく、更にどっぷりとそれに浸る事が出来る。
私も、事故に遭ってから暫くは、その状態に陥っていた。
良く聞かれるけれども、何故そこから抜け出せたのか?
それは、私が生来のひねくれ者だったから(笑)。
子供の頃から人の言う事を聞くのが嫌いで、担任の先生から「社会性・協調性ゼロ」と言われていた。
事故に遭うまでは、それがそのまま大人になり、唯我独尊の鼻持ちならない人間であった。
ところが事故後、その性質が、人々や自分の心から湧き上がって来る憐憫の言葉に、悉く反発したのだ。
そしてそれから二十年余、自分ではあまり意識したことはないけれども、人様から見て、心の強い人間になっていた。
そうなって、こうして発声の指導をしたりする様になると、同じ心弱い人の中にも、大まかに二種類ある事が分かった。
潜在的に、「抜け出したい」と願っている人と「このままで良い」人とにである。
「抜け出したい」と願っている人とは、時間をかければコミュニケーションを取れるので、抜け出すお手伝いもしている。
「このままで良い」人とは、どうやってもコミュニケーションを取れないので、そのままにしておく。
いずれにしろ、自分で望まない限りは、抜け出す事は不可能だし、仮に抜け出せたとしても、自分の成功体験ではないため、容易に元に戻ってしまう。
悲しいかな、「わかってあげる」事を「甘やかす」事と同化させてしまい、腫れ物に触る様な扱いをしてしまう事が多い。
「わかってあげる」からこそ、時には嫌われる覚悟で、間違いを正す事も必要と、経験から学んでいる。
それは、究極の優しさとも言えると思うし、それが持てるかどうかは、私自身の強さへの問いかけでもあるのだ。
あくまで私見だけれども、心の強さは、ある程度、身体の強さに比例(とてつもないマッチョは話が別)する。
私のレッスン室からは、筋トレをして発声をした心弱いレッスン生達が、ほんの少しだけ強くなって、また社会に出て行くのである。
インフルエンザが大流行中で、予防接種は受けているものの、自分が無事でいられる事が不思議なくらいだ。
早い人は、もう花粉症の症状が出始めているそうで、もう何もかもが前倒し状態である。
最近は、心弱い人からの相談が非常に増えていて、表現芸術に関わる人たちでも、こんなに多いのかと驚くばかりである。
考えてみれば、我々の様な職業の心の拠り所は、自己肯定しかないに等しい。
ただ、自己肯定を保ち続けるには、相当のエネルギーが必要なので、その負担に心が耐えられなくなるのかもしれない。
自分の経験から言うと、心弱い状態に浸っている方が楽である。
何でも責任転嫁出来るし、それに辟易した周囲も放っておいてくれる。
誇大妄想ばかりが膨らむけれども、現実を見なくなるので、誇大妄想が折れる事もなく、更にどっぷりとそれに浸る事が出来る。
私も、事故に遭ってから暫くは、その状態に陥っていた。
良く聞かれるけれども、何故そこから抜け出せたのか?
それは、私が生来のひねくれ者だったから(笑)。
子供の頃から人の言う事を聞くのが嫌いで、担任の先生から「社会性・協調性ゼロ」と言われていた。
事故に遭うまでは、それがそのまま大人になり、唯我独尊の鼻持ちならない人間であった。
ところが事故後、その性質が、人々や自分の心から湧き上がって来る憐憫の言葉に、悉く反発したのだ。
そしてそれから二十年余、自分ではあまり意識したことはないけれども、人様から見て、心の強い人間になっていた。
そうなって、こうして発声の指導をしたりする様になると、同じ心弱い人の中にも、大まかに二種類ある事が分かった。
潜在的に、「抜け出したい」と願っている人と「このままで良い」人とにである。
「抜け出したい」と願っている人とは、時間をかければコミュニケーションを取れるので、抜け出すお手伝いもしている。
「このままで良い」人とは、どうやってもコミュニケーションを取れないので、そのままにしておく。
いずれにしろ、自分で望まない限りは、抜け出す事は不可能だし、仮に抜け出せたとしても、自分の成功体験ではないため、容易に元に戻ってしまう。
悲しいかな、「わかってあげる」事を「甘やかす」事と同化させてしまい、腫れ物に触る様な扱いをしてしまう事が多い。
「わかってあげる」からこそ、時には嫌われる覚悟で、間違いを正す事も必要と、経験から学んでいる。
それは、究極の優しさとも言えると思うし、それが持てるかどうかは、私自身の強さへの問いかけでもあるのだ。
あくまで私見だけれども、心の強さは、ある程度、身体の強さに比例(とてつもないマッチョは話が別)する。
私のレッスン室からは、筋トレをして発声をした心弱いレッスン生達が、ほんの少しだけ強くなって、また社会に出て行くのである。