恒例の土曜日RUN/2019.03.23

恒例の土曜日RUN。
寒い寒い…、昨日までの暖かさが嘘の様に、まるで冬に逆戻りした様な気温である。
咲き誇っていた梅も慌てて退き、咲きかけた桜もスタートを見合わせたかもしれない。

最近良く考える様になったのが、「伸びない表現者の慣用句」である。
職業柄、伸びない表現者の口から突いて出る言葉を注意深く聞く様にしている。
聞いていると、恐らくはそれらが脳内でご自分を支配してしまっているのではないか、と思うのだ、例えば…。

「芝居はパッションだ!」→そう言う需要があるのは事実かもしれないけれども、それだけではファッションショウならぬパッションショウを延々と見せられる事になる。
私は、勿論パッションは必要なものとは思うけれども、それは役柄に取り組んでいる段階で使うべきもので、徒らに観客に投げつけてしまっては失礼だと思っている。
パッションだらけの演劇を観た後は、まるで嵐が過ぎ去った後の様…、ただ最近はそれがお好きな方々もいらっしゃるのは事実、強ち否定は出来ない。

「テンションMAXで!」→私は、ヨーロッパで「本番時のテンションは、稽古プラスワンで」と教えられた。
若い頃、それこそテンションMAXで臨んだ舞台で、私は初日に声を失いかけ、以降は声が気になって、それこそテンションどころの騒ぎではなくなった事がある。
近年でも、初日からテンションMAXで飛ばし、二日目にはもう声を失い、敢えなく降板となった共演者を目の当たりにしている。

「自然体で」→私は、最近この言葉をとても危険だと思う様になった。
観ていると、自然体=猫背と言う例を余りにも多く観過ぎてしまったからだろう。
これは賛否わかれるだろうけれども、自然体の演技とは、充分に稽古され尽くして、恰も自分自身の生理の如く、自然に台詞が紡ぎ出せ、自然に身体が動く状態の事を言うのではないだろうか。

「役作り」→これを「厄作り」にしてしまう人が多くなって来た。
以前から書いている様に、考え過ぎてしまい、不必要な情報まで取り込んで整理がつかなくなってしまい、自分で自分の首を絞めてしまう人々の事である。
一旦これに嵌ってしまうと、抜け出すのは容易ではないのだ。

さて、我が家の梅くんは華やかに咲き誇り、花が退いた後は若々しい若葉を覗かせ始めた。

やがて実を付けるだろうそれらを見ながら、これからも若い人たちの実りを助けて行こうと強く思った。