恒例の土曜日RUN。
いやはや、急激に寒くなりつつあり、体温調節が大変である。
インフルエンザの予防接種も始まり、私は定期検診のついでに、早速済ませて来た。
この間のレッスン中に話していて思い出したのが、1976年の9月にNHKの主催で行われた、第8次イタリア歌劇団の事だ。
高等学校二年生だった私は、急病で行けなくなった母の代わりに、全演目を観る事が出来た。
確か一番高い席が10,000円(当時)で、私が座った席は6,000〜8,000円くらいだった様に記憶している。
何と言っても呼び物は、プラシド・ドミンゴが両方とも主役と言う奮闘演目「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「パリアッチ」のカップリング。
日にちによってはジョルジョ・メリーギに交替した(それでも凄かっただろう)との事だけれども、私は幸運にもドミンゴの回を観る事が出来た。
ドミンゴがちょうど太りだした頃で、随分太っているんだなぁ…と、失礼な感想を抱いてしまったけれども、声・歌唱共に素晴らしかったのは言うまでもない。
「アドリアーナ・ルクヴルール」と言う演目は、日本初演との事で、私はこの日が観るのも聴くのも全くの初めて。
ただ、モンセラット・カバリェと当時売り出し中だったホセ・カレラスの声を聴きたくて、ワクワクしていたのを覚えている。
カレラスの若き日の声は、円熟期のそれよりも若干の硬さはあったかもしれないけれども、当時テノールになりたかった高校生の私には大ショックだった。
そして、もう一つの日本初演「シモン・ボッカネグラ」は、それこそ名前すら聞いた事もなく、全く何も期待せずに観た。
ところが、冒頭のニコライ・ギャウロフの歌声を聴き、心底痺れてしまった。
ピエロ・カップッチルリの身体を張った演唱にも、深く心を打たれた。
後年、自分の声がバスと分かり、テノールに憧れていた私は一度は落胆したものの、この時のギャウロフの歌声が私を立ち直らせてくれたのだった。
もうあの様な綺羅星の如きスターの揃った公演は、中々目にする事が出来ないかもしれない。
そう考えると、この時の私は、とても幸運だった、と今でも思う。
何事もデジタライズされつつある世の中、どちらかと言えばアナログなこの当時の演唱スタイルは中々見られなくなって来たのかもしれない。
私は、この頃と現代のそれぞれの長所を活かしつつ、後世に伝えたいと思っている。
いやはや、急激に寒くなりつつあり、体温調節が大変である。
インフルエンザの予防接種も始まり、私は定期検診のついでに、早速済ませて来た。
この間のレッスン中に話していて思い出したのが、1976年の9月にNHKの主催で行われた、第8次イタリア歌劇団の事だ。
高等学校二年生だった私は、急病で行けなくなった母の代わりに、全演目を観る事が出来た。
確か一番高い席が10,000円(当時)で、私が座った席は6,000〜8,000円くらいだった様に記憶している。
何と言っても呼び物は、プラシド・ドミンゴが両方とも主役と言う奮闘演目「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「パリアッチ」のカップリング。
日にちによってはジョルジョ・メリーギに交替した(それでも凄かっただろう)との事だけれども、私は幸運にもドミンゴの回を観る事が出来た。
ドミンゴがちょうど太りだした頃で、随分太っているんだなぁ…と、失礼な感想を抱いてしまったけれども、声・歌唱共に素晴らしかったのは言うまでもない。
「アドリアーナ・ルクヴルール」と言う演目は、日本初演との事で、私はこの日が観るのも聴くのも全くの初めて。
ただ、モンセラット・カバリェと当時売り出し中だったホセ・カレラスの声を聴きたくて、ワクワクしていたのを覚えている。
カレラスの若き日の声は、円熟期のそれよりも若干の硬さはあったかもしれないけれども、当時テノールになりたかった高校生の私には大ショックだった。
そして、もう一つの日本初演「シモン・ボッカネグラ」は、それこそ名前すら聞いた事もなく、全く何も期待せずに観た。
ところが、冒頭のニコライ・ギャウロフの歌声を聴き、心底痺れてしまった。
ピエロ・カップッチルリの身体を張った演唱にも、深く心を打たれた。
後年、自分の声がバスと分かり、テノールに憧れていた私は一度は落胆したものの、この時のギャウロフの歌声が私を立ち直らせてくれたのだった。
もうあの様な綺羅星の如きスターの揃った公演は、中々目にする事が出来ないかもしれない。
そう考えると、この時の私は、とても幸運だった、と今でも思う。
何事もデジタライズされつつある世の中、どちらかと言えばアナログなこの当時の演唱スタイルは中々見られなくなって来たのかもしれない。
私は、この頃と現代のそれぞれの長所を活かしつつ、後世に伝えたいと思っている。